記憶のことを考えるとこわい

こんばんは、ぱんのです。

お久しぶりです。気づけばわたしはもう女子大生じゃなくなってました。残念。新しいブログ名を考え中です。

 

3億8000万円が奪われたニュースを聞きながらこれを書いてます。銀行から引き出せるんですね、3億8000万円。なんか、伊坂幸太郎のギャングシリーズっぽくないですか。ワゴン車で猛スピードで逃げるとか、覆面とか。計画的な犯行とか。

 

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読み直してみようかなあ。けっこう面白いのです。わたしは記憶力が終わってるので、一度読んだ本の内容をあまり覚えてなくて、二度目でも余裕で楽しめます。博士の愛した数式の博士ほどではありませんが、それでもかなり終わってる方かと思います。博士は、80分しか記憶が持ちません。

 

記憶と言えば、最近は現在が過去になるということを考えていると、気が遠くなります。この生身で体感したいろいろなことがどんどんどんどん遠のいていくのですから。

知らない誰かのフィクションではなくて、自分のノンフィクションなのにどんどん忘れていってしまうって怖いことだと思います。

たとえば、10歳の頃の自分の喜怒哀楽とか、不思議に思ったこととか、がんばったこととか、ちょっとしか覚えていないのです。きっと濃密な日々だったんだろうけど、今や残っているのはちょっとだけです。

人生80年あるのに、わたしの記憶力はなんて頼りないんだろう、と思います。博士ほどじゃないけれど。80分しか覚えていられない博士ってどんなふうに日々生きていたんでしょう。愛する数式があるからやっていけたんでしょうか。江夏豊、背番号28、完全数博士の愛した数式で覚えているのはこれくらいです。

こちらも読み直してみたいですね。

 

川上未映子の『すべてはあの謎にむかって』というエッセイに、記憶にまつわる名文があったので載せておく。

 「記憶はあやうく鮮やかで、そしてはっきりと不確かで、しかさそれは我々を形作る最大のものであるのもまた事実。ああ我々はどれだけの人と出会い、どれだけの人を忘れていくのだろうなあと思えば、それがいちおう自分の体験であったにもかかわらず、どれをと選んだり意図したりできるわけでもなく、我々に相談してくれたりもしないのだ」

 

最近は働いています。これが働いているっていうのか微妙ですけど。まだまだ気疲れがひどいですが、なんとかやっていけそうです。健やかな社会人生活を送るため、ハートに毛を生やしていきたいです。

 

みなさん、新生活はどうですか?