ゆとりですかなにか2話で『山月記』を思い出した/ゆとり二宮

 

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こんばんは!

ドラマ『ゆとりですがなにか』面白いですよね。2話では、おっぱ...じゃなくてまりぶと坂間くん、やまじーがまりぶの部屋でしゃべる次のシーンが心に刺さりました。

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まりぶ「おまえ、学校とか就職先ってどうやって探したの?」

坂間「学校は行けそうなとこ、会社は入れそうなとこ」

まりぶ「それって、クリアできるってわかってるゲームを延々とやってるってことじゃん」

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(記憶で書いているので完璧なせりふではないです)

このような会話がありました。はっとさせられました。そんな感じで生きてる人たくさんいると思いますし、わたしもその一人になるのだろうと思います。いちばんヤバいのは、そのように生きてる自分に何も危機感がないことだと思います。このドラマ見て、俄然危機感が湧いてきました。(日本語あってる?)

 

r25.jp

 

良い社会派ドラマって、心に刺さるから見るのがつらくなるんですね、くそうクドカンめ。

行けそうなとこ行く、とか適当に努力するは、自分を最大級に守る行為ですよね。適当に努力してたらそれで失敗しても傷つかないし。

 

「その声は、わが友、李徴子ではないか?」で始まる中島敦山月記も自分を守るがために努力をしなかった李徴が虎になったというお話です。以下は李徴が人間であったころの自分を反省する箇所。

 

 

今思えば、全く、己は、己のっていたわずかばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をもさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句をろうしながら、事実は、才能の不足を暴露ばくろするかも知れないとの卑怯ひきょう危惧きぐと、刻苦をいとう怠惰とが己のすべてだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己はようやくそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸をかれるような悔を感じる

 

 

中島敦 山月記 青空文庫より引用、太線は後付け

 

要は、本気を出さないで余裕ぶってるんじゃなくて、やりたいこととか成し遂げたいことがあれば、全力で努力しないと人間は虎になっちゃう、つまり人間以下の獣の精神レベルになる、ということを伝えてくれています。

 

できそうなことをやるより、今の自分ではできそうにないけど、やりたいことやる方が人生楽しそうですからね。心にこの気持ちを留めておきたいですね。

 

なんだか重い話になってしまったので、ゆとり二宮さんのコントでお別れしましょう。熟女好きすぎる二宮の後です。

耳にきらりと光るピアスがにのっぽくなくてセクシーですね。ジャニーズと侮るなかれ、コントはふつうに面白いよ!

 

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