義憤にかられる快感
ネットを見ていると「これはひどい」「まじでクソ」「弾糾せねば」「突っ込まなければ」と義憤にかられることがけっこうある。
かっちりしたメディアの記事にしろ、プロブロガーの1日50円騒動にしろ、いちいち「ちょっとちょっとそれはないんじゃないの?」と言わずにはいられない。
たぶん、気持ちいいのだ。「明らかに正しくない」とか「ばかじゃないの?」と思ったりすることが快感である。下手すれば、「これは最高」「めちゃくちゃ素晴らしい」よりも脳が強く反応しているんじゃないか。こき下ろしたほうが自分の優位性を感じ取れるからなんだろう。
それか、某プロブロガーの言うようにみんなストレスがあるのかもしれない。まあ、それは間違ってはいないだろう。それを日本社会どうたら、不寛容社会どうたら、と安易に結びつけるのはどうかと思うけど。だいたい、なんちゃら社会、って気安く使うなよ。定義は?比較データは? とりあえず体のいいワードで世相切ってる気になってるひとが多すぎる。
…おっといけない、また義憤にかられて快感を覚えていた。ついつい、やってしまう。
生活しているだけで、なんとなくイライラする。そんなんだから、ネットで格好の良いカモがいたら、攻撃したくなる。というのは、どっかで読んだことがある。
そもそも人間は、力がありあまっているから、あれこれと活動しようとするのだ。すべての活動は、力の発散のためのものに過ぎないのだ、とニーチェ先生も言っていたらしいぞ。
生物学的にはこうだ。
「現生人類が肉食であることは腸の構造を見ても分かる。一万年前まで狩猟採集民であったわれわれは、肉を食べて必要なタンパク質を摂った後はゴロゴロ休んでいたに違いない。その頃の人類は日に3時間くらいしか働かなかったようだ。
現代人が働くのは、炭水化物を摂りすぎて、エネルギーを使わなければ超肥満になってしまうので、働かざるを得ないことも一因だ。働かざるもの食うべからず、ではなくて、食いすぎるので働かざるを得ない、のだ。
本来ならば肉食のライオンのような生活をしなければならないのに、草食のウマのような生活になってしまったのだ。現代人の生活は本来の人間の生活と全く違うのだから、ストレスがたまるのも無理はない。」
『生物学の「ウソ」と「ホント」』(池田清彦 著)より
すっきりする話だ。本来はゴロゴロするべきなのに、たくさん食べるからたくさん動かなくちゃいけなくなり、ストレスがたまり、ネットで暴れちゃうんだな。しかたがない。居場所があるかないか、という次元の話ではないみたいだな。
てことは、少食になってあまり働かずに済めば、そのぶんゴロゴロすればストレスがなくなるのでは?
一刻も早くAIにお仕事をしてもらって、お国からベーシックインカムをもらう時代が来れば、みんなのストレスがなくなり、修羅の国インターネットも穏やかになる…のだろうか? 残念だがそんな気はしない。なんせ暇だからな。暇なときはネットを見てしまう。
キラキラ女子だから、今日は爪を塗った。不器用すぎて、めちゃくちゃストレスがたまった。頭が悪そうな配色だが、気に入っている。
子ども難民の生活を体感するという“エンタメ”
カンヌライオンズという広告祭があるのをご存知でしょうか。
映画祭の広告バージョンを想像するとわかりやすいかもしれません。世界から優れた広告を選ぶイベントです。
世界にある数々の広告・コミュニケーション関連のアワードやフェスティバルの中でも、エントリー数・来場者数ともに最大規模を誇るのが「カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル(Cannes Lions International Festival of Creativity)」です。期間中に同時開催されるライオンズヘルス、ライオンズイノベーションと合わせて(2016年はライオンズエンターテインメントが新設)約100カ国から15,000人以上の来場者が集まり、全21部門に40,000点を超える作品が応募される一大グローバルイベントのカンヌライオンズは、広告を超えた様々な業界からの注目度も益々高まっています。
この広告祭では今年「エンターテイメント部門」が新設されました。
メディアのプラットフォームがどんどん増えていき、今までの伝統的な30秒のCMを作るだけではダメで、視聴者も何か新しい形で楽しませてくれるエンターテイメントを期待している。そんな新しい形でエンターテインしてくれるものに与えられるのがこの賞。
エンターテイメント部門のグランプリとして選ばれたのは、シリアの子ども難民の生活をVRで体感するものでした。
エンターテインメント部門のグランプリは「THE DISPLACED」。ニューヨークタイムズが段ボール製VRゴーグルを読者に提供したキャンペーン。専用アプリをダウンロードしたiPhoneやAndroidスマートフォンをゴーグルに設置して覗くと、シリア地域に暮らす子ども難民の過酷な状況が体感できるというもの。
カンヌライオンズ受賞速報:新設のエンターテインメント部門受賞作発表 | AdverTimes(アドタイ)
審査員曰く、ただentertaining(楽しませる)するだけではダメで、クライアントに実際に結果を供給しつつ、entertainmentである作品がこの賞を受賞すると。
新しい形のエンターテインメントという意味では妥当な受賞かと思いました。
[カンヌ2016] Entertainment Lions / Entertainment Lions for Music部門グランプリ発表!!|KOKUSAI-I【AOI Pro.】
なるほどね、ひどい環境のなかであくせくしつつも、けなげに無邪気な笑顔をこぼしたりする子ども難民をVRで体感するのが、最も新しく、最もアツく、最もクールなエンターテイメントだというわけですか。左様ですか。
自分とは無関係の厳しい状況を、まるでその場にいるかのように体感してから、デバイスをはずすとそこには平穏な日常が帰ってきて、その落差に喜びを感じるタイプのエンターテイメント。もはやフィクションの中の悲劇では飽き足らず、ノンフィクションでドキュメンタリーでリアリティのある悲劇をお手頃に体感できる時代なんですね。
「わたし、シリアの問題にもこうやって心をきちんと痛めているんだもの」
2秒後には、痛みがなくなるでしょう。いや、むしろ快感が勝つでしょう。
この映像がひどい、というわけではない。子ども難民の生活を、当然のようにエンタメとして消費する神経がおぞましいとわたしは感じるのです。
以下、ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』から引用です。
- 作者: ジャンボードリヤール,Jean Baudrillard,今村仁司,塚原史
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2015/08/27
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
消費社会の特徴は、マス・コミュニケーション全体が三面記事的な性格を帯びていることである。政治的・歴史的・文化的なあらゆる情報は、三面記事という当たり障りのない、しかし同時に奇蹟を呼ぶような形式で受け入れられる。これらの情報はまったく現実的なもの、つまり目につきやすいように劇的にされ、同時にまったく非現実的なもの、すなわちコミュニケーションという媒介物によって現実から遠ざけられ記号に還元される。
テレビで見たり聞いたりしたことは、本当にその場にいなかったことにほかならないのだから。けれども、重要なのは真実以上に真実らしいこと、いいかえればその場にいなくともそこにいること、つまり幻視なのである。
VRはまさに幻視の最先端ですね。
気分を高めるために消費された恒常的な暴力を必要としている。これが日常性のいやらしさであり、おどよい室温になったワインのように供されるなら、出来事や暴力が大好きなのだ。
ああ、なんてバラ色な消費社会にわたしたちは生きているんでしょうね。